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miele(ミーレ)

20年の耐用年数と高機能スペックを持つクリーナー
世界中が憧れる掃除機!「ミーレ掃除機」S4000シリーズ。miele(ミーレ)社のクリーナーは、部品の95%がリサイクルできます。

ミーレ:ミーレロゴ

ミーレ:キャットアンドドックS4560 ミーレ:ブルーラグーンS4210
miele(ミーレ)・ドイツmiele社とは?
吸塵力を国際規格で表示している唯一の会社
ミーレ社は1899年ドイツに誕生し、以来1世紀以上にもわたり「品質第一主義」を貫き通しています。最低想定耐用年数20年以上は限りある資源を大切にするための頑固なまでの企業姿勢のあらわれです。
  • ミーレ社は販売した全ての商品を自社に引き取り、再資源化するため様々な企業努力を続けています。
    例えば、ミーレではリサイクル時に分別がしやすいように、どのようなプラスティックが部品に使われているかが一目で分かる国際マークを1988年から刻印しています。またミーレの商品は材料やネジ止め、部品などの種類をさらに減らし、電気部品と電子部品をバランスよく配置することによりコストを下げるとともに手による分解作業が短時間で出来る環境志向設計です。
  • ミーレ社では有害物質を使用致しません。
    例えば、プラスティックの安定剤として使用されるカドミウムは1984年より使用しておりません。甲状腺ホルモンのレベルを下げる化学物質を持ち免疫系の機能を下げると言われている、難燃剤のポリ臭化ビフェニルエーテルは1988年より使用しておりません。また通常コンデンサーに使われているポリ塩化ビフィニールや水銀はミーレでは使ったことがありません。
「さらにより良いものを」、それがミーレの理念です。
“immer besser”(さらにより良いものを)は、1899年の創立以来100年以上にわたるミーレの企業理念です。この二つの単語に、いまなお、品質に関しては絶対に妥協しないという約束が凝縮されています。他と比べようのないほど厳しいミーレの品質テストはその現れです。

検査ラインから任意に抜き取り実施する耐久試験の合格基準数値は、業界平均をはるかに超えるレベルを独自に設定しています。そこで、20年の寿命に相当する10,000時間のテストを無事完了して、初めてその製品はミーレというブランドを冠せられるのです。

1. 先を考えた設計&技術
1899年、ドイツで生まれたミーレは、依頼独自の技術革新・ノウハウから生まれる最高水準の製品を提供し続けています。市場の変化にとらわれず、先を見据え、あくまで高品質を貫いた製品だからこそ、20年以上の間変わることなくその性能を発揮できるのです。

2. シンプルな機能美
操作しやすく美しい。細部に至るまで、人間工学に基づいて設計されたミーレの製品は、使いやすさと機能的な美しさを備えています。洗練されたフォルムと、スムーズな動きで、ゆとりある快適な暮らしを実現します。

3. 環境にやさしい製品づくり
ミーレの製品は、長く使い続けられることにより、廃棄物とその処理に伴う原料やエネルギーのムダを減らし、環境保護に貢献します。また、電気の消費エネルギーを少なくする省エネ設計。さらに、資源の有効利用のため、リサイクルしやすい構造と原料が採用されています。有害物質は一切使用しておらず、ミーレ社が採用する環境にやさしいプラスチックは、燃焼しても有害物質が発生しません。
なお、主要部品にはすべて、解体時に改正しやすいように素材名が刻印されているのがミーレ社の製品の特徴です。製造中止後も15年間は部品が保存されます。

ミーレ社激動の1世紀と、ミーレ掃除機の軌跡を一挙ご紹介!

1899年 1899年7月1日、創業者カール・ミーレとラインハルト・ツィンカンは、ヴェストファーレンの小さな町ヘルツェブロックに、クリーム分離器の工場「Miele&Cie」を創業、直後にとなり町のレーダで登記を行い、ミーレは誕生しました。共に30歳、二人とも競争の激しい市場に乗り出して行くための情熱にあふれていました。

カール・ミーレとラインハルト・ツィンカンは、丈夫でしっかりした構造を持ち、信頼性と性能に優れた機械を、農家に提供する事を目指し、創業間もないミーレは、激しい競合にも関わらず成功を収めます。「自社製品の品質を100%保障できなければ、長期にわたる成功はあり得ない」というのが、創業当時からの二人の信念でした。
1910年代 その後、製品が多様化され、この頃には、社員数が創業当初の11人から500人へと増加、Miele&Cieはドイツ最大の専門メーカーに発展していました。技術・経営面での成功を強みとして、二人の創業者は思い切って自動車製造へ進出し高い需要を得ましたが、わずか143台を製造した時点で、自動車開発によって主力商品をおろそかにしてはならないと、あえて自動車の製造中止を決断しました。
1920年代 ミーレ製品の種類はさらに多様化し、ビーレフェルトエ場では掃除機が製造されるようになりました。
1930年代 創業者カール・ミーレとラインハルト・ツィンカンは引退し、息子のカール・ミーレニ世とカート・クリスチャン・ツィンカンに経営を譲りました。二人は、「どこまでもより良く」のモットーを忠実に守り、小さな作業所から、今や2,700人の社員を擁する一流国際企業へと成長を遂げたミーレの後継者となったのです。

第二次世界大戦が始まる頃には、ドイツ、スイス、オーストリアに計30ヶ所以上の支社を抱えるまでになっていました。二人の後継者は、戦時中の困難をものともせず自らの目標を追求し、本当に役に立ち、耐久性に優れた最高品質のものだけを製造し続けました。また、外部資本を導入せず、あくまでもミーレの独自性と独立性を維持しました。
ミーレ製品の品質と高い定評をもとに、ミーレは繁栄を続けました。
1940年代 長引く戦争に社員は次々と召集され、物資の欠乏により、残った者の健康も衰えてゆきました。このような状況下でも豊かな人間性を発揮し、捕虜や外国人労働者の扱いについては最善を尽くすよう努力し続けました。空襲の被害にあった従業員用の仮設住宅を設置し、終戦直後から、戦時中に破壊された設備の修復にあたったので、短期間のうちに生産高を回復することが出来ました。
1950年代 戦後も最高の品質という理念を重視したために、発展はさらに続き、創業者の孫にあたるルドルフ・ミーレとペーター・ツィンカン博士が、経営に参加し始めたのがこの時期です。この頃、全自動洗濯機や回転式乾燥機第一号を開発、大型家電製品市場を席巻しました。
この頃には、ほぼ全ての家庭で掃除機が使用されていました。バケツの形をした円筒型掃除機「メリオール」は、1920年代に発売されて以来ほぼ30年にわたって人気商品の座を守りました。これに取って代わる新しいモデルが、600ワットのモーターとブレード付で、吸引力が自由に調節できる「プレジデントS」でした。
1960年代 さらにミーレはシステムキッチン製造も開始し、そして1966年には、新たな時代を予感させるコンピュータ制御の回転乾燥機が開発されました。これは、コンピュータが洗濯物の乾き具合を監視して、乾燥プログラムを調節するという、ヨーロッパでは画期的な乾燥機でした。
1970年代 ミーレのシステムキッチンは大好評を博し、また環境保護のため省エネプログラムも導入された新世代の洗濯機は大ヒットし、世界中で500万台も販売されました。海外への輸出がミーレにとってますます重要となってきたのが、この時期です。
1980年代 1980年に、海外の販売会社第一号がオーストラリアに設立されたのを皮切りに、アメリカ、カナダ、南アフリカにも支社が設立されました。コンピュータ制御の食器洗い機などは他社製品に追随を許しませんでした。
1990年代 1992年には日本に販売会社が設立され、1998年には、9ヶ所の工場と、世界中で計56ヶ所にのぼる販売・サービス拠点に勤務する社員数は計14,054人となりました。
ミーレと社員は、1世紀にわたって「どこまでもより良く」のモットーを追求してまいりました。品質を第一とするミーレの信条を支えているのが、お客様が次回もミーレ製品を購入する割合が92%にものぼり、家電製品メーカー中では最高の数字となっているという事実です。
商品開発、組み立て、製造、経営、営業など、どの部署であれ社員一人一人がこの社風を堅持するため、それぞれの役割を果たしているのです。
ミーレは今後も、家電製品の性能・利便性をさらに高める、品質の優れた製品を生み出してゆくことを目指しています。
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